事業仕分けの思い出

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役所という所はいったん組織が出来ると忙しかろうが、ヒマだろうが職員は増えもせず、減りもせず、何十年も存続します。忙しい職場であっても、現在は意味のない仕事を何となく続けていたりして、


「忙しいんだからこんな仕事止めればいいのに。」


と思うこともありました。しかし、役人?、役所?の習性で一度手にした仕事(権益と言って良いかも知れません)を自ら手放すことはありません。


何年もそんなことを思って仕事をしていたとき民主党が与党になり、事業仕分けということが行われました。私は


「これで無駄な仕事が無くなり残業が減るかもしれない。」

 

と密かに期待しました。

 

事業仕分けの最中は大変でした。組織の存亡に関わる事態なので、想定問を作るため、たくさんの同僚と何十時間もの時間を費やしました。また、事業仕分けの会場(ネットで生中継されました)で民主党の議員の追求を受ける人選については組織のエースと目される人が選ばれたように思います。

 

これらの作業の間も通常業務は続けられている訳ですから連日の残業です。このことで全省庁の役人たちに支払われた残業代は莫大な金額になったと思います。


その結果、私の親しい同僚が働いている独立行政法人が他の独立行政法人と統合されることになりました。今度は統合によって誕生する法人の設立準備です。そのための選任部署が設置され、長い期間そこで働かされる職員が必要になります。選任部署が誕生すると言ってもそのために新たに職員を採用するなんてことは無いので、選任部署に選ばれた職員が出た部署では人が減って労働強化、つまり残業が増えます。そのための人件費も発生するわけです。

 

仕分け後、民主党の議員たちが統合準備の進捗に目を光らせ、統合が完了するのを見届ける必要があったのですが、そんな話しを私は聞きませんでした。

 

私が思うに民主党の議員たちは人の注目が集まる華やかな舞台では華麗に踊るのですが、人の目がないところで地道な作業に従事するのは苦手だったようです。


民主党から何のフォローもなくなった役人はのらりくらりと時を過ごし、そのうち民主党内の内紛が激化、行政改革どころではなくなって自民党が与党となりました。


自民党が与党になって、統合のために作られた選任部署は自然消滅し、統合せずに残った独立行政法人のHPが今この瞬間も確認できます。この間、誰が何を根拠に事業仕分けで決まったことを無かったことにしたのか経緯はさっぱり分かりません。あれだけ大変な思いをしたのに、何の形にも残らない作業をしたことが残念で、民主党は壮大な税金の無駄遣いをしたものだと思っています。


事業仕分けで、弁舌爽やかだった民主党の議員たちを思い出すとき、私は司馬遼太郎さんの【坂の上の雲】の一節を思い出します。以下、それを拝借します。
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戦国末期の武将で、加藤嘉明(よしあきら)という人物がいる。
~略~
嘉明は晩年、ひとから、「どういう家来がいくさに強いか」と、きかれた。当然、強いといえば天下にひびいた豪傑どものことであるという印象がその当時の世間にもある。が嘉明は、「そういうものではない。勇猛が自慢の男など、いざというときどれほど役に立つか疑問である。かれらはおのれの名誉を欲しがりはなやかな場所ではとびきりの勇猛ぶりをみせるかもしれないが、他の場所では身を惜しんで逃げるかもしれない。合戦というものはさまざまな場所があり、派手な場面などはほんのわずかである。見せ場だけを考えている豪傑など、少なくとも私は家来としてほしくない」と豪傑を否定し、戦場でほんとうに必要なのはまじめな者である、といった。たとえ非力であっても責任感が強く、退くなといわれれば骨になっても退かぬ者が多ければ多いほど、その家は心強い。合戦を勝ちへ導く者はそういう者たちである、と嘉明はいう。

司馬遼太郎著【坂の上の雲】より