うつ病、無職の雑記帳

孤独です。しあわせになりたい。

これからの労働の価値

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 アダム・スミスやデービッド・リカードに代表される「古典派経済学」では、人々の労働を価値の源泉としました。その後、需要と供給のバランスで価値が決定されると考えられるようになり、現在の経済学でも主流の考え方になっています。いずれも、労働が価値を生み出す重要な要素になる点では同じです。

 

 しかし、産業の変化により、この前提は変わってきました。

 

 これまでの歴史では、技術革新が起きて主流の産業が変わるたびに、農村から工場、工場からサービス分野へ労働者が移動しました。一時的に失業が発生しても、新たな産業によって雇用が吸収されてきたのです。

 

 ところが、現代の技術革新では様相が異なります。最先端の産業であるIT産業には雇用を吸収する力があまりありません。ソフトウェアの設計を担うのは、少数の労働者で十分だからです。実際に米国では、失業したホワイトカラーの多くはIT産業に移るのではなく、肉体労働などの職業に就くしかなくなっています。

 

 生産活動に労働者はだんだん必要なくなり、労働は価値を生み出す源泉ではなくなっています。労働者の数ではなく、いかに頭脳レベルの高い少数の人を集め、育成するかが重要になる「頭脳資本主義」に変化したのです。最近多くの日本企業でAI技術などに優れた人材に多額の報酬を出す一方で、ITの苦手な中高年に早期退職を迫るのは、この表れです。

 

 今後は人をAIやロボットに置き換える傾向が進み、単純労働はますます価値を失います。

 

 また、現在はインターネットとスマートフォンの登場で、デジタルカメラも百科事典も購入する必要がなくなるなど、技術革新によって需要が減る傾向すら生じています。これまでの産業を、多くの労働力を必要としないIT産業が代替えしたと言えます。

 

 技術の発展が、必ずしも全員を幸福にするわけではありません。これからは一部の勝者が利益を総取りし、後は貧しくなる可能性が高いと考えられます。