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20代の女と40代の男が主人公として登場します。
物語の中で二人の接点はなく、共通点は通天閣まで歩いていける範囲で独り暮らししているということだけです。
私は、大阪で暮らしたことはないのですが、旅行で2度、通天閣を訪れたことがあります。繁華街の一等地に建っているわけではなく、猥雑な街に不自然に背の高い建物がポツンと立っているという印象を受けました。
そんな庶民の街で、社会の底辺で生活している二人が主人公です。
こんな本をプロレタリア文学っていうんでしょうか。女はホステスが接客するクラブで民度の低い男たちを相手に水商売していて、男は工場で単純作業を最低賃金でやっています。二人とも、上司も同僚も尊敬できない人間ばかりで、勤務時間中に考えていることは、
「早く時間が過ぎて、仕事が終わらないかなぁ」
です。
しかし、仕事が終わっても充実した時間がやってくるわけでなく、
「あぁ、このシケた時間が早くすぎないかなぁ」
と思っているのです。男がそんな日常を上手く表現した部分を転載します。
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俺はただ、「日々をこなしている」だけではないのか。
「生きている」というのは、もっと、血の通ったことだと、俺は思う。こんな風に日々、早く時間が過ぎればいい、今日が早く終わればいいと思いながら過ごし、そのくせ明日を心待ちにすることもない。こうやって明日も早く終わり、その次の日も早く終わり、その次の次の日も早く終わればいい、そう思いながら生きるのは、生きているのではなく、こなしているのだ。連綿と続く、死ぬまでの時間を、飲み下すようにやり過ごしているだけだ。
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サラリーマン時代に特別良いこともなく、現在はうつ病で無職の私にしてみると、なんとも安心させられる小説です。読みながら、
「やっぱり、ユートピアなんてどこにもないんだ」
と心が穏やかな気持ちになりました。なんだか、自分はシケた生活してるな、と感じているあなた、この小説の中に仲間がいます。会いに来てみてはいかが?