うつ病で無職になると一週間、他人と話をしないなんてことは珍しくありません。あんまり長い間、声を出していないとそのうち声が出なくなってしまうんじゃないかと心配になるくらいです。
友だちがほしいなぁ、と思うのですが歳を取れば取るほど、友だちを作ることが難しくなるように思います。
そんな日々を過ごしているとき本を読んでいたら、友だちの定義みたいなものが書かれた箇所があって、その定義を満たすことは奇跡みたいなものだから友だちを作ることは難しいのだ、と理路整然と私が友だちを作れない理由が示されていて目から鱗が落ちる思いでした。その箇所を転載すると、
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「友だち」の意味を辞書で調べると、おおよそ、「気心が知れて、気が合って、対等に交流できる人」といった説明になります。
つまり、お互いの気持ちを理解し合えて、価値観も近い、あるいは同じで、お互いに上下がない関係となります。
「理解」「共感」「対等」という、この3つの条件を満たす人は、そうやすやすと、そんなにたくさん見つかるものではないのですから、むしろ友だちの数が多すぎる人の方が逆に怖いと思います。
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これまで、バイオリンを演奏するという共通の趣味を持つ人の所へ行けばスグに友だちができるんじゃないかと勘違いしてましたが、それだと絶望しか待っていないことがこの説明でよくわかりました。
「気心が知れて、気が合って、対等に交流できる人」を探しに行くんじゃなくて、共通の話題があるだけでも貴重な人材だと思って大事に付き合っていくべきなんですね。
私はこれまで、友だち探しに高望みをしていたようです。