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5月10日の読売新聞に《アカペラ》の書評を凪良ゆうサンが書かれていて、興味を持ったので読んでみました。3つの短編小説がおさめられていて、とても良い本でした。そして、凪良ゆうサンの書評を拡散するべきと思ったので、以下に転載します。
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わたしはカーテンを全開にできない。さんさんと差し込む光や、明るすぎる場所が苦手で、半分カーテンが引かれた薄ぼんやりと暗い部屋で過ごすほうが落ち着く。
山本文緒「アカペラ」の中の一編「ネロリ」は、わたしにとってそういう感覚の話だ。病弱で働けない弟と、その弟の面倒をみている姉。姉が長年勤めた会社を退職させられ、人生に不安の影が忍び寄っても、中年の独身姉弟は理不尽さに憤ることもなく、あらがわず、慣れた諦観を隣に淡々と生きていく。「人生がきらきらしないように、明日に期待すぎないように、生きている彼らのために」という単行本の帯文を見たとき、わたしは懐かしい記憶に胸を絞られた。
わたしは複雑な家庭で育った。今ほど多様性が認められず、「普通の家庭」を基準に物事が決まっていく学校の中で、翌日までに親にお願いしてはんこを押してもらうという、たかがそれだけのことが困難で、いつも忘れ物の多い子として立たされて注意された。
恥ずかしかったし、悲しかった。なのでさっさと心のカーテンを半分閉めて、明日から気をつけまーすとへらへら謝りながら、好きな本のことなど思い出して現実から逃避していた。正面から見据えて受けとめるには、教室という世界は正しく明るすぎたのだ。
日々をしのぐだけで精一杯のある種の人たちにとって、きらきらと光を放つ希望や期待は圧になる。だからこれ以上荷物を増やさないように、あまりそちらを見ず、半眼で薄ぼんやりと生きていく「ネロリ」の姉弟に、わたしは懐かしい諦観を思い出した。
けれど、少しの希望も期待もないわけじゃない。姉弟のそばにいる心温ちゃんという女の子が物語の最後に期待の芽を植えつける。彼女がとても若く、若干の頼りなさを伴っているのがまたいい。この圧のない希望の描き方。どうか世界が明るすぎませんように、疲れた人が休める日陰がありますように、そう願ってやまない。
凪良ゆう