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マツコさんのエッセイです。
小学生のころ、
「僕は女の子を好きになれない」
と気づいたときから、テレビで活躍するようになるまでと、テレビで活躍するようになってから感じた色んなことが書かれています。
マツコさん自身は何かになりたいと思ったことはなく、普通に生きられないから女装して水商売で働いていたそうです。すると、そこのお客さんから、
「あなた文章を書く才能があるワ。紹介してあげるから雑誌で書きなさいヨ。」
と言われて書き始め、続けているうちにテレビの出演依頼があって出てみると一度で終わらず、少しずつ仕事が増えていって現在に至るということでした。
だから、マツコさんは、なりたいものがない人は周りに流されて生きてみるのも良いと勧めています。
そして、面白かったのは自分を分析して、
「差別も悪くない」
と思っているところです。
マスコミに露出するような人は容姿に優れていたり、お金持ちだったりすることが多いわけですが、そういった人が過激な発言をするとスグに世間から厳しく反撃されます。それは、大衆が社会的地位が高い人が転落するのが大好きで、引きずり降ろして破滅させたいという欲望があるからなんだそうです。
しかし、マツコさんはそうなりません。それは、
「マツコはデブで、オカマで、女装だからな。あんなみっともない姿になりたくない。」
と思われているため、引きずり降ろして叩きたいという欲望が湧かないからだそうです。ことわざにも《出る杭は打たれる》と言いますが、最初から出っ張ってなければ叩かれないというわけです。
テレビで活躍されるようになってからの話は2014年までの話なので、話題がかなり古いです。主に芸能ニュースを扱っているのですが、「そんなこともあったな」くらいの関心しか私はもちませんでした。芸能ニュースはどんなに大騒ぎされようと、時が過ぎれば忘却されることが分かります。
なりたいものがなかった。
人の勧めに従って生きてきたら今みたいになった。
ということでしたが、芸能界は才能がない人が長く活躍できる場所じゃありませんから、いくら《デブで、オカマで、女装》という異形の姿で真似しても同じように仕事をいただけることはありません。マツコさんの人生はマイノリティの人たちに希望を与えるかもしれませんが、マツコさんの人生には再現性がないので、そういった人たちの人生の教科書にはなりません。