寺地はるな、中央公論新社
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1988年から5年ごとに段落が構成されています。つまり、ひとつの段落を読んで、次の段落へ移ると5年経つわけです。そして、最後の段落は2018年です。ですから、ある家族の30年間を物語として読んで行くことになります。
《羽猫》という珍しい名字の家族なのですが、この家族が全員、家にいることは極めてまれです。それは、三男が小さな子供の頃に事故死したことに起因しています。
想定外のことに見舞われたとき、みなさんはどうしますか?羽猫家では、まず母親が三男の死によって心を病んで、母親の仕事ができなくなります。
次に、父親はそんな母親の姿に耐えられなくなり、愛人を作って、家に寄り付かなくなります。
祖父は、先祖から相続した土地を切り売りしながら一攫千金を狙うような商売を始めては撤退することを繰り返します。
祖母は、「こんな物が売れるのか?」というような古い物を何でもお店に並べて売っていて、商売に夢中でやっぱり家にいません。
困難なことに立ち向かうのではなく、羽猫家の大人はみんな逃げたのです。そんな、まともな大人がいない家で、主人公が子供から大人へ成長する姿が描かれています。
でも、それでもイイんじゃないか、と思う場面がいくつか出てきます。たとえば、主人公が
「僕は社会に必要な人間じゃないかもしれない」
と言うと、祖母が
「戦争してたとき、生きていくのに不必要な物はすべて我慢させられたけど、あの頃は本当につまらなかった。必要な物だけしかない世界なんて私はまっぴらごめん。」
という返答してくれて、主人公は救われるのです。私もその通りだと思いました。
その他にも、成功者になれなくとも生きてるだけで大変な浮世で、こんな年になるまで生きられたのだからたいしたものではないか、と大人になった主人公が振り返る姿にも共感しました。